吉田樹保は1997年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻に現役で入学し、2020年卒業。
2022年3月に開催された「tagboat art fair2022」では発表した作品が全て完売するなど、注目の若手作家の一人です。
キメラ画という異なる画材で描いたものをひとつの画面に同居させる手法を用いて、人間が創造してきた文化とその伝達方法を探り、人間の本性に迫ります。
吉田樹保 Mikiho Yoshida |
ー幼少期から絵を描くことは好きでしたか?
はい、好きでした。幼稚園に入る前から家でもどこでも落書きをしていました。外出時には小さなクロッキー帳をいつも持ち歩いて、帳面の紙がなくなるとペーパーナプキンや箸袋、レシートにも描いていました。
ー美術の道に進むきっかけは何でしたか?
最初は小学4年の時、東京都現代美術館の「マルレーネ・デュマス ブロークンホワイト」を見て、企画者が長谷川祐子さんで、その時初めてキュレーターという職業を知りました。女性が女性作家をキュレーションしていてかっこいいなと憧れるようになり、この頃から美術方面の進路をぼんやりと意識するようになりました。
中学生になってデッサンを習い始めて、作家の道かキュレーターの道なのか迷うようになり、高校2年で進路を変更して美術予備校に通い、大学は油画専攻に進みました。
そして大学1年の夏、広島の美術館で戦争画展を見た時、ある1枚の絵が私の五感を直撃し涙が溢れ出し、学芸員の方が心配して何度も見に来たようですが、閉館まで絵の前で泣き続けたという体験をしました。戦争の愚かさや不条理を感じるとともに、1枚の絵の持つ底知れぬ力に圧倒され、小さな画学生として、この時、美術への信頼を確固たるものにしました。
この劇的な体験から昭和史を調べ始め、昭和レトロとよばれる昭和時代を懐古する一連のデザインに出会いました。特に高度経済成長期の生き生きとしたフォルムは光り輝いて見え、影が強ければ光もまた強くなるのだと思いました。
歴史を見れば昭和だけではなく、それぞれの時代にそれぞれの規模でそれぞれの価値観の変革は存在し、芸術表現も時代の子供のように影響を受けています。
平成生まれの私は、激動の昭和を生々しく触ることのできる時代として、光も影も内包した激しさとして捉え、現在制作しているアクリル絵具の部分に昭和レトロのモチーフを取り入れています。体験の連鎖で辿り着いた表現です。
tagboat art fair 2022 展示風景 (2022年3月11日~13日開催)
ー作品の制作手順や方法は?
エスキースを元に、キャンバスに色鉛筆で下描きし、アクリルの平面部分を仕上げた後、油絵に入ります。
以前はアクリルの部分をマスキングテープで保護していましたが、今はテープを貼らずに油絵を描いています。
ー現在力を入れて取り組んでいることは?
エスキースに時間をかけたいと思っています。
ー吉田さんの作品のコンセプトについて教えてください。
コンセプトは「キメラ画(Picture-chimera )」です。
「キメラ画」とは、異種の植物間で接ぎ木を行ってつくるGraft-chimeraからの造語で、異なる画材で描いたものをひとつの画面に同居させる手法として名付けました。
コンテクストを油絵具で、概念をアクリル絵具で描き、画面を構成します。
この場合のコンテクスト(油画)は、文脈や状況、相互関係といった一般的な語義と、「空気を読む」の「空気」なども内包し、単なる書割の機能だけではない背景として意味に広がりを持たせて使っています。概念(アクリル画)も、表現したいテーマに合わせて言葉の定義を広く捉えます。
コンテクスト・概念のそれぞれのクローズアップとして、油絵具のみ、アクリル絵具のみの変形版もあります。
そして、テーマは「文化の継承・変異」です。
人間が創造してきた文化とその伝達方法を探ることにより、人間の本性に迫ることを目的としています。
社会的・文化的な情報が人から人へと伝わっていく様子や伝達手段、情報の取捨選択行為を観察することで、その時その場所の人間が現れてくるのではないかと考え、「文化の継承・変異」から着想し、制作しています。
「新訳風土記集 其ノ参 観月峠 弍」キャンバスに油彩、アクリル, 2022年制作, 45.5x 45.5 x1.8cm
ー「新訳風土記集シリーズ」について教えてください。
各地に伝わる文化の継承に寄与した「物語」から着想し、制作しています。
人生を支えるため、死を受け入れるため、文字のない口伝の時代から物語がありました。多くの人々が語り伝え、共同体の生活の中で育んできたフィクションです。
物語の重要な存在意義の一つに、外見は荒唐無稽でも、良く磨かれ、生き延びてきたお話にたくさん触れることで、危険な物語をすぐには信じないという知恵が授けられるのではないかと、私は考えています。
それは、排他的ということではありません。物語は運用次第では危ういものだということを、話者と聞き手の信頼関係の中で、話し手の意図を汲み、物語の考察を対面で共有することで学んでいるのだと思うのです。
このように、内容だけではなく、伝承方法にも有用性を感じ、風土に根差した物語の宝探しが、新訳風土記集シリーズです。
「観月峠」は、新潟県佐渡島に伝わる牛恋峠をもとに創作しました。
月明かりの下で、能と伝説とが交錯しながら展開する悲恋の物語です。
あらすじは、以下の通りです。
月は恋の永遠性と亡臆を静かに映し出す。
元禄の佐渡島。謡の好きな娘、月子は偶然牛の出産を見てから、森の小屋でこっそり子牛の世話をするようになった。そして二年の月日が過ぎたある夜のこと、牛が人間の姿となって語り始めた。夏の月の影が加茂湖に落ちるほんの僅かな間だけ、わたしは人間の姿になることを許されているのです、と。それからというもの、夏の月が照る短い間、二人は語らい、恋が芽生え、そして別離が訪れた。
若者たちの初恋にみられる衝動と破滅がテーマです。
「唐櫃由来譚」は、福島県の習俗を調べているうちに物語が浮かび、創作したものです。
家を追い出された娘が山姥の知恵を使い、心穏やかな若者と結婚し、共白髪まで仲睦まじく暮らした婚姻成就の物語。
あらすじは、以下の通りです。
早くに父母を亡くし姉夫婦と暮らしていた東の長者の娘、椿は、西の長者への輿入れが決められていた。ある日、椿は山で道に迷い、子を身篭った山姥に捕まり、山姥と子供の世話をすることになった。山姥は椿を解放する時、美しい羽織をお礼に渡して「この羽織を着て、よく見ろ、気付け、よく考えろ!」と告げる。椿が羽織を着ると白髪の老婆となってしまい、西の長者の醜い本性を見てしまう。姉夫婦にも家を追い出され、死んだ母の嫁入り道具の入った唐櫃を荷車に乗せて途方に暮れていると、見すぼらしい身なりの心優しい若者基一に助けられ、羽織が脱げて元の若い娘に戻った。
その後、二人で基一の商売を再建して結婚し娘も授かり、村一番の長者になった。娘が山姥の羽織の知恵を使って心優しい婿を迎え、二人は隠居し仲睦まじく暮らしていた。ある雨の日、おどけた様子の基一にかくれんぼに誘われた椿は、母の唐櫃の中で昔のことを思い出しながら眠るように亡くなった。雨が雪に変わり、かくれんぼのままの姿で唐櫃を土に埋葬した。これがこの地方に伝わる、嫁入りの箱を棺にする習俗のはじまり、唐櫃の物語です。
女性の生と死がテーマです。
ー将来の夢はありますか?
私の描いた1枚の絵が、誰かの心を動かし、別の誰かに伝えたくなりますように。
吉田樹保 Mikiho Yoshida |
1997 東京都生まれ
2016 東京藝術大学 美術学部絵画科油画専攻 入学
2020 東京藝術大学 美術学部絵画科油画専攻 卒業
《受賞》
2017 久米桂一郎奨学基金(久米賞) 受賞
《展示》
2017 「KUME SHOW」(久米賞受賞者展) 東京藝術大学学内展示スペース、東京
2020 「第68回東京藝術大学卒業制作展」 東京都美術館、東京
2021 「ART TAIPEI 2021台北国際芸術博覧会」 世界貿易センター一館(台北市信義区信義路)1階 、台湾