タグボート取り扱いアーティストの皆さんに、インタビューに答えていただきました。
作品制作にまつわるあれこれや、普段は聞けないようなお話などが満載です。
毎週更新していきますので、ぜひぜひご覧ください!
アーティスト コムロヨウスケ
小さいころから絵を描くのが好きでしたか?
物心ついた時から毎日絵を描いていました。
画用紙から新聞広告の裏まで、描くところがあれば手当たり次第描いており、描けないと癇癪を起こしていたようなので、根っからのお絵かき少年だったと思います。
毎日描いているので必然的にうまくなり、絵を描けばみんなに褒められ、それが嬉しくてさらに描くというような好循環で、両親も協力的で専門的な道具なども頼めば買ってくれたので、とても恵まれた環境だったと思います。
美術の道に進むことになったキッカケは?
学生の頃から絵や写真、文章も好きだったので、それらを総合的に扱えるグラフィックデザイナーになりました。
デザイナーとしての活動はそこそこうまくいっていましたが、作品は当然商業ベースですし、制約も多いので、いつか仕事とは別に自分の作りたいものを作って発表するようなことをしたいと思っていました。
ただ美術というのはデザインとは似て非なるもので、僕の分野外でしたし、なんか古臭くてお堅い、自分のような人間にはとても馴染める世界ではないと勝手に思っていたんですね。
それが現代アートの本を読んで見方がだいぶ変わりました。作品にはとても多様性があり、グローバルで、世界中の「何か作りたい欲求」を抱えた人たちを大口で飲み込むような舞台があることを知り、「これは俺も参加しなきゃいかん!」と意気込みながら作品の構想を立て始めたのが2013年頃でした。
初めて作品を発表したのはいつ、どんなとき?
2014年5月のTAGBOATのアートフェアでした。
とりあえずアートの世界に足を踏み入れたかったので、お試しのつもりで出展してみましたが、作品作成から発表までの過程がとても楽しく、これは生涯を通して続けていけると確信しました。
「三つ子の魂百まで」といいますか、やっぱり自分は死ぬまでお絵かき少年で、描いたり作ったりすることが幸せなのだなと実感した次第です。
デザインの仕事も並行してやっていたので、忙しくて目が回りそうでしたが、充足感はすごかったです。
制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
「制作品する日」というのは特に決めてなく、常に複数のアイデアや概念を並行的に考えているので、時間ができた時に描いたり作ったりして形にします。
それで面白いものができたらさらに精度を深められるよう試行錯誤を続けますし、魅力的なものでなかったらやめてしまいます。
アートに関わらず、質のいいアウトプットをするためには、質のいいインプットが欠かせません。
なので多くの情報に触れること、そして受容体である自分の心身を健康に保つことは意識的に行っています。
インプットからアウトプットまでが制作と考えるなら、毎日が「制作する日」で、スケジュールは死ぬまでびっしり埋まっているということになりますね。笑
作品の制作手順を教えてください。
表現したいアイデアをスケッチしたり、コンピュータ上で画像に起こしたりします。
その後、それが形になるように手段や材料を考え、試行錯誤しながら形にしていきます。
作っている時は感性の部分を多く使っているので、作品ができたあとは、コンセプトをテキストに起こし、作品の意味を理論的に再考するようにしています。
現在、力を入れて取り組んでいること
21世紀に入り、人類は有史以来類を見ないほどの大きな変化の中にいると思っています。その現代性にとても興味があり、変化の中を生きる21世紀初頭の人間としてのアウトプットはどのようなものになるか、常に思考を巡らせている次第です。
AIによって人類の能力が拡張していくように、新しい技術、新しいシステムの可能性を探索しつつ、表現の可能性、もしくはアートの在りようを更新し、現代性を表現していきたいと思いつつ、試行錯誤の現在です。
将来の夢、みんなに言いたいこと
この職業をやる以上、作品のレベルを上げ、価値を最大化させることは常に意識しており、世界にどのくらい影響を与えられるかという実験的遊びを人生をかけて楽しみたいと思っている次第です。
その中で将来的に考えているのが、世界中の才能豊かな人たちを制作の過程に引き込み、一緒に作品を作っていくことです。
その人たちはアーティストとは限りませんし、よく聞く「コラボレーション」という言葉とも違い、コミットの仕方は多様でいいと思います。
様々な表現者の方々はもちろん、別の専門分野の方々や、アートとは全く関係ない(と思われている)立場の方々も、巻き込むような形で何かを作れるような環境を作り、ジャンルを横断することで生まれる「現代アート」を作ってみたいと思っています。
今後表現者と鑑賞者というような役割分担はファジーになり、これからは誰もがパラレルに役割を横断するようになるでしょう。
そのような新しい時代の新しい関係性を、アーティストとしてどのように落とし込むか、新しい「mixed media」なアウトプットの可能性に興味はつきません。
なのでみんなに言いたいことがあるとすれば、仕事でも趣味でもいいので、好きなことを追求してほしいのと、僕と友達になってほしい、という感じですね。
相互作用しながら世界を広げ合い、現代という時代にドットを打ち込みたいですね。
1978年東京に生まれる。
幼い頃から絵を描くことに親しみ、7歳の時に出会った手塚治虫や鳥山明の漫画の影響で、漫画家を志すようになる。
14歳の頃に自身で描いて送った漫画が出版社に認められ、担当編集者と共にプロデビューの道を歩き出すが、当時の美術の先生にもらった画集に衝撃を受け、漫画以外の絵を描くような仕事に興味を持った彼は、将来の漫画家をやめ、アクリル画を描き始める。その後絵画やデザインに関わる様々な分野に興味の触手をのばし、
工業デザイン、アート、グラフィックデザインを学び、アメリカ留学を経て、最終的にはグラフィックデザイナーとして広告プロダクションに就職し、2010年に独立。フリーランスのグラフィックデザイナーとして活動する。
その傍ら、彼は幼い頃から人と関わるよりも、一人で自然の織りなす風景や光を楽しむような少年であり、現在も、宇宙の森羅万象や、世界の成り立ちへの好奇心は収まることはなく、物理学や自然科学、そして宗教や歴史など、多方面の勉強を続ける中で、自分なりの解釈で得た、この世の本質的なものを表現したい欲求にかられるようになる。
そのツールに選んだのは、子供の頃からライフワークのように続けてきた「描くこと」、「作ること」であり、活動の場がアートというフィールドになることは、もはや必然であった。
本質を追求していくと、真実は単純なストラクチャーに行き当たることを悟った彼は、あらゆる要素を削ぎ落とし、単純さと明快さを表現の中で追求するスタイルで、作品作りを続けている。
表現はシンプルでミニマルでありながら、常に具象性と理論性が包括されていることが特徴である。
彼は体質的に視覚や聴覚が特に敏感であり、混沌とした複雑さや騒がしさを嫌い、理路整然とした清潔感や静寂を好むことも、ミニマルな作品が生まれる一因と
なっている。
彼の技術や感性は、東京という大都市で育ち、西洋文化の影響を受けながら発展していった、
漫画を含めたあらゆるクリエイションに親しむ中で培われていった。そして米国での生活や、世界各国の旅を通じて、西洋文化に大きく影響されていることは間違いない。
しかし、生活の土壌は日本であり、根底にある仏教を始めとした東洋文化からの影響度の深さや、感性的な強い親和性を、大人になってから発見することになる。その東西のハイブリッドな要素が彼の作品の中には確実に入り込んでいる。