タグボート取り扱いアーティストの皆さんに、インタビューに答えていただきました。
作品制作にまつわるあれこれや、普段は聞けないようなお話などが満載です。
毎週更新していきますので、ぜひぜひご覧ください!
アーティスト 小木曽ウェイツ恭子
小さいころから絵を描くことが好きでしたか?
私が幼い頃、父の知り合いに印刷関係の仕事をしている人がいて、余った紙をいつも大量に持ってきてくれました。おもちゃは大して買ってもらえませんでしたが、質の良い紙が子供用の机の上にいつも山積みになっていて、好きなだけ使わせてもらえたのでよく絵を描いていたと記憶しています。特に好きだったかといえばそうでもなく、特に上手でもなかったと思います。
美術の道に進むことになったキッカケは?
当時住んでいたアパートの、隣の棟の2階の窓際に、そこに住んでいる人が描いている半抽象の油絵が見えました。母と家に帰るときに下から見上げて「ちょっと進んだね」などと話して、密かに親子で覗き見るのを楽しんでいたのです。
或る日のこと、母が突然、当時小学一年生だった私と、一つ年上の姉の腕を掴んで隣の棟へ行き、階段をどんどん上がると、その家のベルを押したのです。出てきたのは大きなお腹を抱える妊婦さんで、母はそんなことはお構いなしに「この子達に絵を教えてやってください」と、私と姉をその人の前に突き出したのです。私達はあまりの突然の展開に恥ずかしくて何も言えませんでしたが、その人は平然と「はい、いいですよ」と私達を招き入れてくれたのです。
それから毎週画材を抱えて姉と二人でそこへ通うようになり、先生は産後に新たに絵画教室を開き、以降中学生になるまでお世話になりました。女子美を出て作家活動をしていた先生は、何事にも一切慌てることのない穏やかな方で、今でも私の心の師です。
子ども達が学校に行っている間は、息子さんの部屋で制作。
初めて作品を発表したのはいつ、どんなとき?
自分の作品をまとめて発表したことはありません。やっと思うような絵が少し描けるようになったのが、最近です。
制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
作品の制作手順はどのようなものですか?
午前中に用事のないときは、子供達を学校に追い出したら、大急ぎで家事を片付けます。小学生の息子の部屋を借りて絵を描いているのですが、本棚とベッドの間で制作しているので横幅1メートルくらいがやっとでしたが、先日本棚を廊下に出したのでもう少し広くなりました。子供達が帰ってくるまでのMy Time と言ったところです。
制作は紙に描いてからキャンバスに絵の具で描く、といったごく普通のスタイルだと思います。
現在、力を入れて取り組んでいること
大作になんとか取り組みたいのですが、物理的に難しいので組作品として描いています。現在は40号を4枚で一つの作品を描いているのですが、距離を置いて眺めることができないのと、部屋がどんどん絵の具で汚れてしまうので、苦労しています。
休日、子どもと一緒に粘土遊びをする小木曽さん
将来の夢、みんなに言いたいこと
生活のため夕方仕事をしていますが、毎日絵だけ描いて暮らせたら夢のようだな、と思っています。
14歳の娘に、「将来どんな仕事をしたらいいかな」と聞かれた時に、一生懸命考えたのですが、「ごめんね、お母さん、絵を描くこと以外に良いことが思いつかないのよ」と答えてしまいました。「何か人様の役に立つようなことを・・・」とか、「自分のやりたいことを見つけてから・・・」などと言い用はあったかもしれないのですが、絵を描くお母さんとして正直な気持ちで答えたことを娘なりに「自分には何があるか」を考えてくれたらいいなと思いました。
絵を描いている若い方にとっては、温暖化による夏の猛暑や、南海トラフや、都市直下型地震の予測など、漠然とした将来の不安に、絵を描くなんていざとなったらどうでも良いようなことに打ち込むのに躊躇してしまいがちな時代にあると思います。
AIの描いた絵が賞も取りましたし。
この際、先のことは考えずに今日は今日の制作に一生懸命に取り組むのが良いと考えています。
これまでも、私には「描く絵がある」と思えることが支えになってくれていましたし、これからも支えになってくれると思います。
世の中のためになるように社会問題を表現したほうが良いという人がいますが、私は違うと感じています。本当にそうしたいならもっと有効な別のアプローチがあるはずですし、絵で人を救おうなんて、おこがましいような気もします。
画家は絵の本質を真剣に探求してそれを示していくだけで、同じように皆それぞれのことに一生懸命に取り組むことで人生にキラリと光る貴重なものを共有できるのではないでしょうか。
小木曽ウェイツ恭子
1968年10月生まれ 東京都出身
1993年 武蔵野美術大学大学院美術専攻油絵コース 修了
現在 2児の母 英会話教室を開きながら国立市の自宅にて制作