制作工程を種明かしする「How to Make」インタビュー。今回はタグボート取扱いアーティストの木村華子さんにお話を伺いました。
木村 華子Hanako Kimura |
今回制作工程をご紹介いただく作品は何ですか?
昨年度発表した “SIGNS FOR [ ]” という一連の作品です。
この作品はどのようにして生まれたんですか?
街を歩いていると、ある時から何も描かれていない看板が目に留まるようになりました。堂々と頭上に掲げられた意味を持たない空白。それらは私にとって「全てのものは存在意義がなくとも、そこに存在している」ということを人々に知らしめるためのモニュメントのように見えたんです。
“SIGNS FOR [ ]” は、そのような頭上の空白を切り出し、目線高に設置して青い光で照らすことによって、私がそれらから感じたメッセージをより明確に可視化する試みです。
そのコンセプトに行き着いた経緯を教えてください。
私は作品を制作し発表することを通して「意味がある/ない」「存在している/していない」「違う/同じ」といったような、一見すると両極端な事象の間にある広大なグレーゾーンに触れていたいと考えています。
また、相反すると思われている事象が、ひとつのものの中に同時に、そして完璧に成立しているということを実感したいという思いがあります。
これは今回だけではなく、前作や前前作から一貫している私のテーマです。
本作 “SIGNS FOR [ ]” のメインテーマは、「意味があること/ないこと」の間のグレーゾーンについてです。それらがひとつのものの中に同時に成立するということ…さらに遍く物事というものは「存在意義がある/ない」に全く関わらず、「ただ存在しているから存在しているのだ」ということを再確認したいと考えています。
また一方で、経済活動を離れた、一見無用そうなもの(いわゆるトマソン)の美しさに対する賛美でもあります。「いいじゃない、これからもっと全国的に経済活動が減少したって」そんな風に都会田舎分け隔てなく年々増え続ける空白の看板の美しさを愛でるように、縮小や減退の真っ只中にあっても「細やかな楽しみや発見と共に伸びやかに暮らしていくぞ」という生まれてこの方、ずっと景気が悪い時代を生きている私の意思表明でもあります。そこには、私が知らず知らずのうちに刷り込まれてきた「わびさび」の要素があることは否定できません。
そのメッセージを可視化するアイデアはどこから浮かびましたか?
この一連の作品は、制作の過程で初めて明確な「縛り」(簡単にいうと自分ルール)を定めて作りました。ちなみに今までも作品ごとに自分ルールのようなものはあったんですが、非常に感覚的なことだったので、飽くまでも自分にしか分からないルールでした。
下記の項目が、今回の「縛り」です。
1. デジタル上で合成や消去などの加工をしない。(明るさなどの若干の補正はあり。)
2. 雲を写さない。
3. 「広告募集」という文字があったらNG。
4. 看板部分以外の建物に書いてある文字も極力写さない。
5. 看板の背景が青空になるシチュエーションでしか撮らない。
6. わざわざ空看板を探しに行くためだけに家を出ない。
制作過程に明確な「縛り」を設けることによって、完成まで時間がかかってしまいますが、作品に強度を持たせやすく(作品に意図せず付随してしまうノイズを初めから無くしておける…という感覚)、もしかしたら自分に向いているのかもしれないと思いました。
この作品はどのような材料で構成されていますか?
本作は、アクリル板に写真をUVプリントで直接印刷し、その上にネオンライトを設置した光る作品です。コンセントさえあれば、どこでも点灯できる仕様になっています。
また、使用しているネオンライトはLEDではなく、昔ながらのガラス管でできたものを作品のサイズに合わせて1点ずつネオン職人の方に曲げてもらっています。
発光色は(写真では白く写ってしまいますが)、肉眼で見ると眼が痛くならない落ち着いた青です。
被写体は、見た通り「何も描かれていない空(カラ)の看板と雲ひとつない青空」です。これはデジタル上で余計なものを消したのではなく、晴れた日に偶然見つけた空看板を望遠レンズで撮影しています。なので、ものによっては消される前に書かれていた文字が薄っすら読めるものもあります。
ネオンライトの青い光はどこから着想を得ていますか?
私の地元の最寄駅に到達するまでの線路には、踏切前に青いライトがついているんです。夜になると、田んぼの真ん中を通るその路線は、真っ暗な闇の中に深い青の光が一列に点々と灯っているように見えます。
実は、青いライトは一部の駅の構内や踏切に導入されています。それは、2013年に「駅に青いライトを設置すると自殺率が84%下がる」という論文の発表が背景にあります。それによるとどうやら、青い光には人の精神的な昂りを抑え、リラックスさせる効果があるというのです。しかし青い光によって本当に自殺率が84%も下がるのかということについては後日、その研究結果を問い直す懐疑的な論文も発表されているのですが。
その踏切の青い光を見ていると、私は日本の若年層における自殺率のことを思い出さずにはいられませんでした。
最後に、何か伝えたいことはありますか?
何も描かれていない空白の看板は、存在意義の有無に一切囚われず、今この瞬間も我々の頭上に堂々と佇んでいます。この作品の前に立つ誰かが、もし周囲の物事や自身に対する存在意義(もしくは意味)を突き詰めようとするあまり、息がしづらくなっているのならば、青い光に照らされた空看板を眺めながら一旦それらのことを忘れ、そして時にはゆっくり休んで欲しいと願っています。