人物の精工な表情と塗りつぶした黒い衣服の対比が謎めいた作品や、絵画のなかに影を忍ばせたストーリー性を感じさせる作品ーー
マリアのような宗教的肖像を描く、若手注目作家のルーツや作品が生み出されるまでの制作過程を探った。
インタビュー・テキスト:髙橋佳寿美 撮影:寺内奈乃
―鹿児島県ご出身の小森さんですが、どんな幼少期を過ごされていましたか?
全校生徒50~60人程の小学校に通っていました。勉強はちゃんとしていましたが、幼少期は、ずっと問題児でしたね。「人権を侵害しないレベルで、小さい頃にしかできないことを出来る限りやりたい」と思っていました。
いわゆる不良だったわけではないのですが、高校生になるまでは先生たちから一貫して問題児と見られていましたね。
―ずいぶんやんちゃな時代があったのですね。そのころから絵を描いていたのですか?
曾祖母が日本画を描いていたので母親の家系は手先が器用で、私自身も絵を描くことはずっと好きでした。ですが決して上手いわけではなかったんです。沢山描いてコンペに出展しても、全員入賞するような防火ポスター以外のコンペは落選していました。
―小さいころはどんな絵を描いていましたか?
今と根本は変わっていなくて神秘的なものや宗教的なもの、天使や幻想的な動物ばかり描いていました。
―高校で美術科への進学を選択されていますが受験はいかがでしたか?
ずっと美術の教師を目指していたので、高校では美術科に進学しました。進学した高校は合格枠の半分以上が推薦枠で、中学校の先生のなかには問題児だった私を推薦すべきじゃないという声もあったそうです。美術の先生が頭を下げて「もう少し見守っていてあげてください」と他の先生を説得してくださり、結果的に推薦で合格できました。
―高校生活はいかかでしたか?
高校の美術科には、アニメが好きだったり、イラストを描いている人が多くいました。その中で、ひとりの友人だけが「ジェフ・クーンズの最新作見た?」など話していたんです。国際コンペで賞を獲るほど優秀な友人で、こんなに面白い世界があることを教えてもらいました。そして自分も作品を作る側に行きたいと思うようになりました。
―美大へ進むために一年予備校に通われたのですか?
高校を卒業して、鹿児島から鎌倉にある予備校に一年通っていました。高校時代に私たちの学年は「デッサン力が無い学年」と言われており、その中でも私は一番下手でした。でも、当時は「なにが良くてなにが悪いのか」が分からなかったんです。鎌倉の予備校はとても理論派なところで、そういうのを教えてくれそうだと思いました。
少し変わった予備校で、一年を通して石膏デッサンが無かったり、代わりに座学があったりするんです。その予備校が合わない人もいるのですが、私にはとても合っていて、最も成長した一年だったと思っています。
―刺激的だった学生寮での交友
予備校時代は鎌倉の学生寮に住んでいました。他大学の獣医学部や理系学部に通う色んな人が住んでいて、私も理科が好きだったのでその人たちと話すのがとても楽しかったです。
予備校が辛くても、寮に帰ってくると「走るぞ」って言われて皆でマラソンして、大浴場にバッシャーンて入って、屋上の屋根に寝そべって星を見るんです。「明日も頑張ろう」って気持ちになれて、また全力で予備校に行けました。
―予備校で辛かったことはありましたか?
何か新しい表現ができるようになったとして、良いものが画面内に増えても、結果的に良い作品になるとは限らなかったことです。何かを特化させたら何かの要素は必ず落ちるので、せっかく新しいことができるようになったから使おうとしても、全然良い絵になるわけではなくて、そのバランスを取るのに葛藤して、落ち込んで、を繰り返していました。
―小森さんのお父様はご住職をされていらっしゃるのですか?
父は密教の教えの身口意を「人間の表現の3要素」と捉え、そこに音楽との関係性を見いだし、音楽を中心とした教えを説いています。父は住職ですが母はキリスト教を信仰していて、両親は私を仏教に染まらせたくは無かったみたいです。
―ご実家を継ぐため2019年に得度(僧侶になるための出家の儀式)されていますが、その後変化はありましたか?
仏教って道徳に基づいた概念的なものなので、他の宗教に比べて画やストーリーがほとんど描かれていないんです。仏教には有も無も含む空(くう)という概念があるんですが、空間の相対的な見方を今まで以上に意識して描くようになりました。
―作品からも宗教的な世界観を感じますがどういったコンセプトで制作されていますか?
宗教を勉強していると異なる宗教でも共通項が見えて来るようになりました。祈るときにはイスラム教もキリスト教も仏教も手を合わせます。また時代的なものかもしれませんが、祈る際になにか布を羽織っているのも共通項のひとつです。
そういった「人がなにかに対して抱く印象を共通的に導き出したイメージ像」を自分の哲学や科学的なフィルターを通して宗教的肖像として描いています。
―作品のコンセプトを説明するうえで難しいと感じる部分はありますか?
作品を説明する際には、相手の宗教的価値観を踏まえたうえでどう話すかが難しいと感じます。たとえコンセプトを伝えないにしても、制作するうえでコンセプトはあるので、それをどうやって作品に落とし込むのかが難しいですね。
また、私は「シミュレーショニズム」という系譜の中で作品を作っていますが、過去の作品を引用するうえで、それに適した資料を選び出したり、どういった構成にするか考えるのも難しいところです。意外と空間から先に作ることも多いので、構図を作ってコンセプトを決めて、この要素を影として入れようとか、色々調べるとこの人がこういうことをしているからこの人の肖像を使おうとか、試行錯誤しています。
―作品に影を使うようになったきっかけはありますか?
美術史が好きで、とても影響を受けた作家の一人にジョルジョ・デ・キリコがいます。「画面内で語りきらないストーリー性」というか、画面内にモチーフが登場しなくても、その影だけで伝えられるものがあることを知り、影を研究するようになりました。
―将来はご実家を継がれる小森さんですが、僧侶になられてやりたいことはありますか?
仏教だけでなく他の信仰も知っている僧侶になりたいです。「知る知らない」ってとても大きいことだと思うので今も色んな宗教の方と交流を持っています。
それと、農業もする僧侶になりたいですね。キャンバスや油の材料になる亜麻を育てる農業をやって、芸術大学に通う大学生に実習で来てもらい、普段使っている道具にも、それを作る大変さがあることを知ってもらいたいです。
―今後の制作活動についてはいかかでしょうか?
彫刻家でメダルド・ロッソという方がいます。ダ・ヴィンチが作ろうとした「輪郭の無いもの」を彫刻に置き換えようとした人で、鑑賞者が作品を見る位置を固定させようとしました。その人が彫刻に置き換えようとしたものを、私は絵画に置き換えて表現したいと思っています。
―2021年のアートフェアに向けた制作について意気込みを教えてください
近代以降の名画といわれている作品は、人間が持っている広い意味の宗教性を自然の中に内包しているものが多いと思っています。ジョルジョ・モランディの静物画やエドワード・ホッパーの風景画、マーク・ロスコやジャクソン・ポロックの抽象画などもそうですね。
私はナビ派の画家が好きで、とくにモーリス・ドニの作風が好きです。モダンな風景の中で受胎告知などを描いている画家です。
私もより現代的なモチーフを使って、日常的な風景のなかで色々な宗教性を感じていた感覚を忍ばせたいと考えています。おそらく今までの作品よりも神秘性を意図的に損なわせることになりますが、より現代の日常的な風景を描きたいと思っています。