草間彌生は、世界で最も人気の高い女性作家。オークションでの凄まじい価格高騰が話題です。
これまでTAGBOATでも圧倒的人気を誇ってきました。
草間の特徴的な水玉や編目模様のモチーフの新着作品をご紹介します。
20世紀前半の「エコール・ド・パリ」を代表する画家、藤田嗣治。透明感をたずさえた「乳白色の肌」でパリを熱狂させました。
日本現代アートの潮流につながる礎を築き上げた巨匠の作品を、タグボートでは今回初めて、特別に販売致します。
草間彌生
制作年:1992年
エディション:50
技法:リトグラフ
サイズ:42.5×31.5cm(額寸:50×42.5cm)
1,983,960円(税込)
爽やかな「レモンスカッシュ (I)」。爽やかなレモンスカッシュを草間作品の特徴である網目模様と水玉(ドット)であらわした1枚。ダイニングにもリビングにもオススメの溌剌とした印象を与えてくれます。
制作年:1995
エディション:50
技法:エッチング
サイズ:51.7x38cm(額寸;56x44cm)
1,155,000円
遠なる宇宙。それはうごめく生きもののようにも見え、自然の植物の中にあるミクロコスモスのようでもあります。こちらの作品は、草間彌生のメインモチーフ、「無限の網(Infinity Nets)」をアレンジしたバージョンとなっています。ここ数年海外オークションではペインティング作品が数千万から1億円を超える高値で落札されていますが、、それらのほとんどがこの網のモチーフのもの。版画作品も最近値上がりが否めませんが、その中では銅版画は現在比較的手頃な値段で手に入る作品に挙げられるでしょう。見ているうちに吸い込まれそう・・・、そんな引力を感じさせる1点。
制作年:1998
エディション:30
技法:シルクスクリーン
サイズ:71×56.5cm(額寸:85.3×71.5cm)
2,755,280円
制作年:1998
エディション:60
技法:シルクスクリーン
サイズ:70.8×56.4cm(額寸:85.3×71.5cm)
2,865,280円
制作年:2002年
エディション:130
技法:セラミック
サイズ:7.5×7.5cm
*7.5×7.5x9cm、専用ケースつき、作品うらに版上サインあり。
1,100,000円(税込)
制作年:2002年
エディション:130
技法:セラミック
サイズ:9x10cm
*9x10x7.5cm、専用ケースつき、作品うらに版上サインあり。
1,100,000円(税込)
10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描き始め、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。
1957年渡米、巨大な平面作品、ソフトスカルプチャー、鏡や電飾を使った環境彫刻を発表する。
1960年代後半にはボディ・ペインティング、ファッション・ショー、反戦運動など多数のハプニングを行う。
また映画製作や新聞の発行などメディアを使った表現にも着手。
1968年自作自演の映画「草間の自己消滅」は第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、アン・アーバー映画祭で銀賞、第2回メリーランド映画祭にて受賞。
ヨーロッパ各国でも展覧会、ハプニングを行う。
制作年:1939年
オリジナル
技法:油彩
サイズ:31.7×23.7cm(額寸:66.5×58.5cm)
17,603,960円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング
サイズ:38×28.5cm
672,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング
サイズ:38×28.5cm
672,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング、手彩色
サイズ:38×28.5cm
540,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング、手彩色
サイズ:38×28.5cm
540,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング
サイズ:28.5x38cm
540,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング
サイズ:38×28.5cm
540,100円(税込)
制作年:1951年
エディション:315
技法:エッチング
サイズ:38×28.5cm
364,100円(税込)
フランス国籍の洋画家。のちに軍医総監になった藤田嗣章のニ男。1905年東京美術学校に入学し黒田清輝、和田英作に学ぶ。1910年に同校を卒業、1913年渡仏。P.ピカソ、A.モジリアニらを知り、エコール・ド・パリの一員として認められ1917年個展。 1919年サロン・ドートンヌに出品した6点全部が入選し同会会員に推され、精妙な陶器の肌を思わせる白い絵具のマチエールと、的確なデッサン力をもった流麗な線描による表現は高く評価された。一方国内では 1922年以降帝展に出品し、1924年帝展審査員、1934年二科会会員となり、1941年帝国芸術院会員になるが1955年に辞任。その間1929、1933年に帰国したものの三たび渡仏。1940年戦争のため帰国し、第2次世界大戦中は多くの戦争記録画を描いた。1949年日本画壇と決別して渡仏、1955年フランス国籍を得、1959年カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。